ミスターとともに歩んできたプロ野球

2017/06/15

いまさら言うまでもありませんが、あの長嶋さんは高度経済成長期において、多くのプロ野球ファンの心を掴み、サラリーマン達を熱狂させ、まさに日本のプロ野球の歴史とともに歩んできた最大貢献者なのです。まだ幼い頃、よく近くの仙台二高のグランドで近所の子供達同士で、3角ベースの野球をしていました。それが野球との始まりでした。バレーコートや、テニスコートのネットを支える支柱を塁に見立てて、軟式のテニスボールを、竹ホーキの柄をバットにし、思いっきりたたきつけて楽しんでいました。日がくれ、家に帰ればテレビのナイターで巨人戦がよくやっていました。もっともテレビは、巨人戦しか放送していない時代。当時パリーグの放送なんて無いんですよ。長嶋さんのハツラツとしたプレイに、目が何度も釘付けにされましたことを記憶しています。絵になるんですね長嶋さんは。ここだという場面では、必ずと言っていい程、良い結果を出していました。子供心に、凄い選手だと印象付けられるたのは当然。「巨人・大鵬・たまご焼き」の言葉がありますが、国民の多くが、強く感心をもって見守っていたんですね。とにかく巨人は強かったですね。球界の盟主と言われ、有望な若手をスカウト、充実した育成、ドジャース戦法を取り入れるなどの戦術。常に他チームの先をいっていたようだ。正力オーナーの「常に紳士たれ」の合言葉のもと、選手達も他チームに勝る頑張りをみせた結果なんだろうな。常に全国の野球ファンから注目されるなかで、特に目立ったのが、長嶋さんでした。仕事を終えたサラリーマン達も、彼のプレーに活力を頂いたに違いありませんね。高度経済成長期のシンボルでもある長嶋さん。いつまでも健康であれ。(写真は読売新聞より)

【セルフ炉ばたやいずみ・店主のつぶやき】