防空壕

2017/07/16
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今をさかのぼること70数年、昭和20年の7月10日、仙台の街にアメリカ軍の焼夷弾が落とされ、街は焼け野原になり、大勢の犠牲者が出たと伝えられています。私は戦後生まれで、戦争体験はありませんが、その傷跡は目にしています。防空壕です。店のある川内には第二師団があって標的にされたのだと思いますが、広瀬川護岸の岩盤に横穴を掘って難を逃れた跡が、いたるところに有りました。現在はすべて入り口が封印されていて、中には入れません。最近テレビで北朝鮮のミサイル攻撃に、いかに対処したらよいのかという放送が時々あります。ついつい思い出してしまいました。