元楽天監督の野村さんて凄い指導者ですね

2017/10/05
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ペナントレースも順位が確定し、我が楽天は3位決定。序盤の強さは、とうとう戻らなかったけど、CS出場権を得ただけでも良しとするか。それにしても強いチームになったなぁ。三木谷さんと堀江さんが名乗りをあげて、チームが結成されてから早や○年、弱小球団も着実に力を付けてきて他球団と引けをとらない位にまでになってきた。嬉しいものである。昭和46、7年ころ、ロッテが仙台を準フランチャイズにして、金田監督が一塁コーチャーボックスで、タコ踊りを見せてくれていた頃が最後で、仙台ではナマで選手を観る機会が無かった。もっぱら、ビール片手にブラウン管ごしに応援するしかなかった。それがパリーグ再編劇を機に、楽天が誕生した訳である。近鉄からセレクトされた選手が中心だっただけに、その力量に過大な期待を寄せるには、無理があったのは当然。今でも仙台での開幕戦に磯辺選手がホームランを放ったときは、体中に熱いものが走ったのを覚えている。私は一塁側フィールドシート(1/3)を迷わず購入し、せっせと球場に足を運んだ。勝ちゲームより負けゲームの方が多いのは当たり前で、結果初年度は下から数えて断然の首位を獲得したが、いつかは優勝を争えるチームになって欲しいと、強く願っていた一人であった。そこで三木谷さんが動いた。ペナントレース中盤以降、田尾さんに代わる次期監督を探すのは当然だろう。そこで白羽の矢が当たったのが、野村さんである。さすが三木谷さんは経営者である。そして、野村さんも自分に声がかかることを予期していたというから、両者並みの人ではない。野村さんといえば、卓越した野球理論を持ち、選手として、監督として実績を積み重ねてきた野球博士である。江夏の使い方をはじめ、それまでに無かった野球を私達に見せてくれた。全盛期を過ぎた選手を活かす、「再生工場」とまで言われた選手の使い方には定評があった。彼の書籍にそれが現れているのは承知のとおりである。まさに楽天にとっては、うってつけの人だった。野球選手である前に、まず人であれと意識改革から始めたようだ。大衆から注目を浴びる立場にいることを話し、社会人として模範になるよう振舞うこと。茶髪禁止もその一つ。キャンプでの講話は、野球理論よりも、社会人としての内容が多かったみたいだ。野村さんは「生涯一捕手」として、勿論キャッチャーの重要なことを、身をもって体験してきた人である。嶋選手を育てる手法には、正直いって驚いた。守備を終え、ベンチに戻ってきた嶋選手を自分の脇に立たせ、とうとうと、キャッチャーとしての心構えなどを、話して聞かせていたのだろう。テレビを通じて全国に映される嶋選手にとっては、ベンチ裏で聞く話しよりも、より強烈に受け入れたのではないか。日本一のキャッチャーとして、今日の嶋選手があるのは、「野球博士」、野村さんのこの時の指導にあったのではないか。又、選手の指導の一環として、試合後のテレビ・インタビューの際での内容にもあったのではないか。選手に直接言わず、間接的にポロッと漏らす話し方に、自覚させられた選手も多かったに違いない。着実にチーム力が上がり、優勝を争えるまでのチームになったのは、正に野村さんのおかげであることは、言うまでもない。感謝したい。ブラウンさんを挟んで、見事に花を咲かせたのは星野さんである。東日本大震災で痛めつけられた東北の人たちに、希望の光をあててくれた、忘れてはいけない恩人ともいえる人である。