進駐軍の思い出

2018/01/10

当店から歩いて最短5分位の場所に、昔、進駐軍が駐留した一帯がありました。私は小学校の低学年時代で、白くペンキで色塗られた平屋が数多くあったことを記憶しています。第二次世界大戦後、連合軍が日本に駐留したことは、ご存知のことと思います。それが仙台にもあったのですね。今の県美術館の西側はグランドになっていて、アメリカンフットボールを楽しむ兵士たちの姿をよく観ることが出来ました。道路を挟んで今のグランドは兵士達の真っ白い家々・宿舎が点在していました。又、ところどころに、憲兵らしき兵士がいる小さな建物があり、訪問者の出入りをチェックしていたんではないかと思います。背が高く、目の色、髪の色の違う人たちの姿は、子供心に、ちょっと、おっかなく感じていました。又、当店の隣りは兵士家族が住む、今で言えば、借り上げ社宅みたいなものだったのでしょう。奥様が日本人で、夫の名前はリチャードソンと名乗り、男の子2人、かわいい女の子1人の5人家族(長男はジュニア、次男はポンチ、長女はローズ)の住まいで、私達との交流もありました。クリスマスパーティーに呼ばれて、美味しいケーキなどを、ご馳走になったことも覚えています。又、200坪を超えるくらいの庭で、色塗られた卵(なまだったか、湯でてあったか記憶にはありません)を、子供達が探し出す、宝探しのようなことをしたことを、覚えています。感謝祭だったのかな。帰国後、何度か奥様から便りをいただいたようですが、私たち家族には返事の出しようがありません。現在アメリカと日本は強い絆で結ばれています。6年前の津波で大打撃を受けた東北の復興のため、「72時間以内に仙台空港の滑走路を整備して、米軍が降りられるようにしろ」と言われ、自衛隊とともに復興に力を貸してくれたアメリカには感謝しています。あのリチャードソン一家は、今、どうしているのかなぁ。

【セルフ炉ばたや いずみ・店主のつぶやき】

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