防空壕と私

2018/08/14
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私のお店から歩いて10分以内には、かつて防空壕が少なくても、5ヶ所以上はあったと記憶しています。仙台市内を流れる広瀬川の両岸の崖の岩壁に彫られたもので、小学生の頃は、格好の遊び場の一つでもあった。缶詰の空き缶に灯油を入れ、布を添えて、灯油が滲みた布に灯を点して壕に入り、探検と称して、光と影の揺らぎの中、はしゃぎ回っていたと記憶している。また、いくつかの防空壕には、人が住んでるものもあった。浮浪者である。生活困窮の事情があったためであろうが、そんなこと、小学生だったものたちには、分かるよしもない。朝、学校へ向かう際、壕から煙が上がっていたことを、時々目にしていた、朝食の炊飯時だったのだろう。仙台も7月10日B29の襲激を受け、焼夷弾の雨嵐の末、焼け野原と化した。陸軍の第二師団が置かれたせいもあり、アメリカ軍の対象とされたのだろう。今は、全ての壕の入り口はセメントで塞がれ、中には入れないが、戦時中の遺産の一つとして、いつか公開される機会もあるのだろう。毎年、この時期になると、どうしても思い出してしまう。忌まわしい戦争は、絶対にやってはいけない。

【セルフ炉ばたや いずみ・店主のつぶやき】