悲願だった月山に ついに登頂する

2018/09/15
ロゴ

長年山登りを続けているが、なかなか登る機会が無かった山形県の月山に、ついに登ることが出来た。店の客が無いのを機会に、思い切って月山に向けて車を走らせた。近辺の鶴岡・酒田の天気予報では、曇りの予報なので、大きく崩れる心配は無い。登るのに支障は無いだろう。今回の山行ではテント泊にしようと荷物を車に詰め込み、2時過ぎに家を後にした。まだ明るいうちに宿泊予定の姥沢駐車場着。同じように登山目的なのか、7~8台の車が駐車していた。何処にテントを張ろうかと、ぐるりと回っていたら、ここはキャンプ禁止の張り紙を目にした。そばの山小屋で確認すると、やっぱりダメのようだ。仕方なく案内してもらった野営場まで戻ることにした。その野営場だが、入り口にはロープが張ってあり利用出来ないみたい。管理事務所に連絡を入れればいいが、有料なので連絡せず、脇の駐車場にテントを張ることにした。早速、陽が落ちないうちにテント設営にとりかかる。照明は車のシガレットから電気を引っ張り、LEDを点すことにする。車から電気を引っ張り、家電製品を使えるのは、とても便利。皆さんも大いに活用したらいかが。ただし、直流12ボルトを、交流100ボルトに変換させる器具が必要です。3000円くらいで電気店で売っています。積んで来た2kgのプロパンでお湯を沸かし、おでんの入った袋を温める。それを肴に発泡酒を喉に流し込む。まさに至福のひとときである。点された明かりに、虫も寄ってこない。早池峰では、わんわんと虫が寄ってきたが、この時期は虫の活動も終わったのか。弱くしか受信出来ないラジオでは、ヤクルトと巨人が戦っている。どうやらヤクルトに分がある試合経過のようだ。酔いが回るのに、そう時間が掛からない。明日のことを考え、ここが潮時と切り上げる。念のため、「湯たんぽ」も用意した。朝方の冷え込みが心配だから持ってきた。2年前の秋の尾瀬では、とても役に立ったので、この時期の私にとっては、必需品なのである。まずは、ここまでは満天の星を除けば順調にきている。NHKラジオ深夜便のアンカーが、明日の天気予報を報じている。地域が大雑把で、ここでは役に立たないが、崩れないことを期待するしかない。酔いが手伝って、熟睡したんだろう、眠りが浅くなった頃目が覚めたが、日付が変わっていた。ぽつり、ぽつりと雨がテントに当たっていた。いや~な気分。そのうち一瞬閃光が走った。間をおいて爆音。大粒の雨と続いた。とうとう来たか。テントが雨に耐えられることを願って、そのままでいたが、とうとう中に雨水が入ってきたではありませんか。もうこれまでと決断。あわてて荷物を車に移す。時は3時半過ぎであった。いつしか脇に車が2台駐車しているのに気がついた。同じハイカーなんだろうか。車の中で同じく雨音を聴いているんだろう。慌てることが無いだけ幸せだよね。こうして、うつらうつらしているうちに、周りが白ずんできた。雨は上がったようだ。6時を待って出発の準備に取り掛かる。お湯を沸かしながら、濡れたテントをたたむ。朝食はカップラーメン。簡単で良い。熱い汁が心地よいではないか。早々に荷物を車に詰め込み、この場を跡にしてスタート地点の姥沢駐車場に向かう。天気は晴れ。OKだ。7時30分登山開始。協賛金200円を小屋前の箱に入れる。引き続き「登山者カード」の記入なんですが、肝心の「カード」を書くための紙すら見当たらない。何故無いんだろう。今は提出の必要がなくなったのか。いや、そんなことはないはずだ。いざという時、お互い困るはずなのに。後で分かったが、跡から登ってきた若い登山者に尋ねたら、スマホで済ませたと言う。時代が変わったのは仕方ないが、スマホをあまり使っていない団塊世代は、どうすれば良いのか。これまで通り、紙に記入するやり方も残しておくべきではないのか。ぶつぶつとひとり言を言いながら、歩き始めた。天気はどんどんと良くなって、青空も見え始めてきた。樹林帯の両脇には季節の花が咲いている。青紫の「りんどう」が鮮やかだ。「ななかまど」の赤い実も絵になっている。「いわかがみ」の艶やかな葉。みんな私を癒してくれる。有り難い存在だ。パチリ、パチリとシャッターを押しながら、いつしか樹林帯を通り過ぎ、視界が良くなってきた。はるか向こうには月山の頂なのか、どっしりと構えている。待ってろよ月山、すぐ行くからな。やがて、なにやら行く手に、白装束の一行の姿が見えてきた。もしかしたら彼らは、修験者の人達なんだろう。信仰の山でもあったんだ月山は。そんな気持ちなんて、更々持ってもいないない自分が、ちょっぴり恥ずかしい。風もなく、穏やかな月山。一歩一歩、頂を目指して石畳の道を歩む。いったい頂上は、どんな感じなんだろう。初めて踏む月山の頂とは。他の山々と、どう違うんだろう。興味深深である。頂上手前で最後の一服。羽黒山方面から登ってきたご夫婦と言葉を交わす。私と同様、あちこちの山に登っているみたいだ。夫婦ご一緒なんてうらやましい。ほどなく、てっぺんに到着。手前に山小屋があり、その奥には月山神社があった。およそ頂上らしくない平坦な一帯であった。神社では祈祷を受け付けている。祈祷料5000円とあった。とても、その気にはなれなくて、バス。神社を見ながら、そっと手を合わせる。一帯は各コースから集まってきた登山客で賑わっていた。平日なのにこの賑わいだ、土日なら、もっと大勢の人達で賑わうんだろうな。さすが、魅力ある山ゆえんである。昼食にはまだ早い時間、早々に下りに取り掛かる。昼食は時間を見計らって取ればいい。今来た石畳を下る。下りは楽だ、膝への衝撃さえ注意すればいい。はるか向こうに姥ヶ岳がそびえている。よく見れば、あの白装束の一行の姿がその姥ヶ岳の登りにかかっている。私より年配者もおられたので、きっと大変だろうな。ゆっくり体力に合わせて登ったらいい。彼らとは私が頂上に向かって登っていた際、行き交ったが、年配者も含めて、皆んなすがすかしい表情をしていた。きっと参拝を終えて気持ちも穏やかになっていたのだろう。私の歩くコースは計画どうり、姥ヶ岳を迂回するようなコースを選択していたので、登りの疲れは味わえないことにホッとする。なんたって登りはくたびれますからね。登りに掛かる分岐点・金姥から右折、装束場に向かってゆっくりとした道を歩く。コースは少し狭くなったようだ。信仰の山月山に登る信仰者にとって、装束場とは身も心も改めるところなのか、神社仏閣を参拝する際に、馬を降りるところと同じような意味合いのある所みたいだ。小屋があったが、閉鎖されていた。ここからはネイチャーセンターに向かって沢添いのコースを下る。登山者があまり利用していないコースのようだ。道は狭く、時々くもの巣が顔に掛かる。沢の渓相は良く、岩魚が釣れそうだ。そういえば震災以来、放射能の影響で岩魚つりもしていなかったことを思い出した。岩魚が掛かったときの、あの感触が忘れられないよ。沢の右岸の斜面一帯が笹で覆われているのを見ることが出来た。きっと春には「ねまがりたけ」が一杯採れるんだろうな。月山の「ねまがりたけ」は、仙台にいても評判だからね。どんどん道を下るが、春木戸跡に来てコース変更を余儀なくされる。沢に掛かっていた橋が、この夏の大雨で流されたようだ、張り紙が張ってあった。地図を見直し、指定されたコースに足を入れる。道脇に「首無し地蔵」の遺跡があった。昔、弘法大師の像が祭られていたという。修験者達の間で手入れをされていたらしいが、今は、その像も崩れかけていた。更に先に進むと、分岐点に理解出来ない行き先名が記された道標があった。地図を取り出し確認するが、分からない。ここにきて、ちょっと迷った。すがる思い出携帯を取り出した。ラッキー。電波が通じるではないか。役場からネイチャーセンターの番号を教えてもらって電話を入れ確認した。通り過ぎたみたいだった。教えてもらった地点まで戻って道標を確認する。やっぱり見落としたようだった。疲労がそうさせたのだろう。地図上ではゴールはすぐのようだったが、ここは登りの連続で、一歩一歩が辛かった。ゆっくりゆっくり、階段状の登りをゴール目指して足を進める。道は石ではなく、土の状態だったのが良かった。なんたって膝に優しいからね土は。30~40分もかかったのだろうか、へとへとになってゴールの駐車場にたどりついた。やれやれ。こうしてリフトにも乗らず、7時間50分の月山登山を無事終えることが出来ました。次は鳥海山だ。待ってろよ鳥海。

【セルフ炉ばたや いずみ・店主のつぶやき】