古関裕而記念館を訪ねて

2020/08/02

なかなか簡単に昭和の名曲を数多く作曲した古関裕而さんには出会うのは難しい。だいたい裕而さんのお名前をPCで拾い出すのが簡単にはいかないのだ。手数がかかる。そんなこともありながら、雨の仙台を妻とともに後にした。時節柄福島の桃の味に魅かれてだ。連日の芳しくない天候のせいか、桃の盛期はもう少し後になるみたい。フルーツラインに設けられる店舗だが、いつもより少なく、シャッターが下りてるのがやけにに目についた。時期尚早。頃合いを見計らって、また来るしかない。さて、古関裕而さんだが、NHKで連日放送されていて、否が応でも関心が高くなる。ナビで簡単に記念館を導いてくれた。実にナビは便利だ。今や私たちの生活には無くてはならない機能である。前置きが長くなった。記念館は彼の功績を精いっぱい示していて、いかに彼が我が国の音楽界に軌跡を残しているのがあからさまになっている。思い浮かぶ曲のほとんどが彼が作曲しているのだ。大学の応援歌に始まり、学校の校歌、軍歌、そして歌謡曲。実にそのジャンルが広い。おまけにプロ野球・巨人、阪神球団に関わる曲まで作曲しているではないか。ちょっとオーバーかもしれませんが、彼なくして我が国の音楽は成り立たないといっても過言では無いのではないだろうか。。繰り返しますが、思い浮かぶ歌の多くに関わっている。驚愕。こんな人が福島から生まれたんだ。すごい能力を持っていた人が福島から出たんだと思うと、彼が家業の「喜多三」呉服店を継がなかったのは正解。彼の功績をたたえるこの記念館だが、一度はご覧になったらいい。おまけに駐車場には他県の車がいっぱいなのにも驚かされた。正に彼は全国区の人である。

【食材持ち込み炉端焼き専門店】

【セルフ炉ばたや いずみ・店主のつぶやき】